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『日本人の底力』を聞いて 客人:作家 半藤一利さん

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 本日の客人は、作家 半藤一利さんでした。「あの戦争と日本人」、「昭和史 1926-1945」、「幕末史」などの著書があります。


日露戦争に勝って国民が浮かれてしまったことが太平洋戦争の原因だ、というのが半藤さんの持論である。

日露戦争は、明治37年から始まる。明治36年頃から日本国民は帝政ロシアを攻めろ、という世論が高まった。日本はなぜこんなに好戦的なのか。ロシアは国際的な約束を守らないし、日本国民はロシアの南下政策に脅威に感じ、”帝政ロシアけしからん!”と思っていたのでしかたがなかったのかもしれない。当時日本の国家予算はロシアの十分の一しかなかった。日本の予算は2億円、ロシアは20億円。ロシアの艦隊は日本の2倍、ロシアの陸軍は日本の10倍であり、とても勝てそうになかった。ロシアは遠くから運んでこなかればいけなかったの開戦直後は日本に有利となるかもしれないが、長期戦になれば勝てないことはわかっていたので、当時の桂内閣は戦争に対して慎重であった。しかし、ロシアは南下し続けて朝鮮半島も支配下になりそうな勢いであった。なんとか朝鮮に入らないようにロシアを交渉に入ろうとするが、交渉を始めるかどうかが問題であった。交渉が決裂すれば戦争をせざるをえないからである。

戦争を始めるのは簡単である。しかし、終わらせることは難しい。日本は細長い国であり、海から山までが距離が短いため、上陸されるとあっという間に占領されてしまう。しかし、海岸線が広くて守りきることは困難であり、国防は外を向けざるを得ない。今はミサイルなどで守ることができるかもしれないが、当時は海を守らなくてはいけなかった。朝鮮をとられてはいけなかった。朝鮮半島は日本の生命線であった。それを狙っているロシアは日本の脅威であった。世界の世論を背景にロシアと交渉をすることは大切なことであった。

日露戦争は、危ういながらも勝利することができた。アメリカの仲介で講和を結び、国際社会からは日本の勝利だと認めてもらうことができた。圧倒的な勝利だったわけではなく、日本は国力は全て使いきってしまった。しかし、国民はこの勝利で有頂天となった。政府は、かろうじて勝った事実を国民にかくした。軍部は国民が有頂天となっていることをいいことに、さらなる軍備拡大を目指すことにしてしまった。喜んでいる国民に対して、世界5大強国のロシアを負かしたのだから日本は世界5大強国に一員となった、日本は強いのだと盛り上げた。また、多くの軍人を論功行賞で爵位をもらった。140人近くが華族になった。そういうことをするためには本当のことを書いた正しい戦記ではなく、勇ましい戦記だけが残った。日本の国力など正しい戦記を残しておくことが本当は大事なことであったが、勇ましい戦記しか残らなかったために、”日本は精神力で勝った”という誤った神話まで生まれてしまった。その後の軍人が教わったのは、連戦連勝の勇ましい戦記だけであった。そういった教育を受けた軍人たちによって日本は昭和を迎えることになる。

もっと平和的にという人は当時もたくさんいた。軍人の中にも平和的は人はいた。日本人全部がうぬぼれた大馬鹿になったわけではなく、慎重な人はたくさんいた。しかし、その声は小さく、大きな声に消されてしまった。

大正の初めは穏やかな時期であった。西洋からの新しい文化を受け入れる優れた文化人も育った。帝政ロシアは革命を起こし、日本にも社会主義が入ってきたが、日本の言論は自由であった。第一次世界大戦の影響が大きかった。日本は、便乗しただけでアジアにいるドイツの権益を全部日本がもらった。そのことによって、生命線が朝鮮半島から太平洋まで広がってしまい、アメリカと衝突するようになり、ぎくしゃくし始めた。また、ヨーロッパの眼が届かないうちに、中国の権益についても大いに侵犯しはじめ、中国の人の激しい怒りをかってしまった。






 大変面白いお話でした。私自身、以前よりなぜ日本人があんな悲惨な太平洋戦争に突入してしまったのか理解ができず、気になっていましたので、この話は琴線に触れました。早速、本を買い、読破しましたが、とても面白かったです。まじめな歴史の教科書、という感じではなく、娯楽小説を読むような気軽さで、あっという間に読み切ることができました。ご本人が”歴史探偵”とご自身のことを語っていますが、まさに微に入り際に入り証拠を並べて未知なる歴史の推測してゆくのは爽快の一言です。みなさんに是非読むことをお勧めしたい一冊でした。









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